「此(煩悩)があれば彼(苦)があり、此がなければ彼がない。此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す。」(此縁性縁起)
↓つまりこういうこと↓
「苦しみと煩悩には何らかの縁があり、煩悩によって苦しみが起こる。つまり煩悩が無くなれば苦しみも無くなるハズ。」
上にもある様に、物事には必ず原因(因縁)がある。以下にその例を記す。
老いて死んでゆくことは世の常であり、苦しみの極みである。
「生」
老死が起こるのは生を受けたものだけである。
「有」
なぜ生を受けてしまうのか、別に存在しなくてもよかったのに。しかし存在してしまったものはしょうがない。
「取」
そのしょうがなく存在している間に苦しみを感じてしまうのは、その世界に執着する心があるからである。
「愛」
なぜ執着するか?それはこの世界があまりにも魅力的だからである。
「受」
その魅力を知らなければなんの躊躇もなくこの世を去れるものを、知ってしまってはしょうがない。
「触」
なぜそれを知ってしまうか、それはその世界に触れてしまうからである。
「六入」
触れる、感じてしまうのは、眼・耳・鼻・舌・身体・意識、という6つの器官があるためである。
「名色」
六入は精神(名)と肉体(色)をもつことにより生じる。
「識」
名色の存在は詰まるところ意識によって確認される。認識のされ方は様々で、人によって異なる。
「行」
認識のされ方に違いが生じるのは、それまでの行為が関わっているからである。経験によって意識が形成される。
「無明」
なぜその行為をしてしまったか?それは誰にも分からない。勝手に生じたものである。
「諦」とは「真理」という意味。世に蔓延るあらゆる苦に関する真理を以下に記す。
どんなもの(諸行)でもその形を永遠に保つことはできない(無常)。
あらゆるもの(諸法)は別の無数のものの因縁によって成り立っており、因縁を持たずに「我」を持っているものは実は存在しない(無我)。
「因縁生起」の略。原因があって結果となる、という現象のこと。
原因
欲望
執着すること。四取という四つの執着がある。
「欲取」
喜びへの執着
「見取」
自己の見解への執着
「戒禁取」
儀式と象徴への執着
「我語取」
こだわりと自分ルールへの執着
五つの誤った見解
「身見(有身見)」
自分の意思の存在を信じること(我見)と、自分の意志をもって何かに干渉できると信じること(我所見)
「辺見(辺執見)」
死をもって自分が消滅する(断見)とか、死んでも幽霊みたいに存在し続ける(常見)とかいう偏った考え
「邪見」
縁起説への否定的見解
「見取見」
自己の見解を重んじること
「戒禁取見」
儀式と象徴を重んじること
生・老・病・死
八苦
「愛別離苦」
愛するものとの別れ
「怨憎会苦」
怨み憎むものと出くわす
「求不得苦」
求めようが得られることはない
「五蘊盛苦」
色(肉体)・受(知覚)・想(表象)・行(判断)・識(理解)の五つ(五蘊)の一瞬の快楽に囚われて執着してしまうこと
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